takuyo日記

小説に毒されています

韓国のラブホ

この前あるひとと電話していて、おじいちゃんのことを思い出した。おじいちゃんは少し前に死んだけど、それよりももっと前に一緒に韓国に行った。二人きりで。おじいちゃんはその時点で確かもう90近かった気がするけど体がやたら大きくて、ポケットのいっぱいついたオーバーコートのどこに切符をしまったのかすぐに忘れるので大変だった。今思えば、俺が預かっとくよ、ぐらい言ってもよかったのだが、俺はそういうことにはかなりとろくて、っていうか、そういう状況に応じた振る舞いみたいなものがすごく窮屈で嫌いなので、いまはこんな感じになっている(どんな感じだ)。

おじいちゃんはもうろくじじいのくせに全部おれにまかせろと言って飛行機もなにもかも一人で手配してしまったのだけど、二日目だか三日目だかのホテルは予約してなくて、大丈夫だ大丈夫だなんて言われるから仕方なくついて行ったら普通にラブホテルだった。韓国の。国道沿いの。ベッドがうっすらとピンクがかっていて、おじいちゃんはこれ使うから、とかなんとか言いながら引っ張り出してきた敷布団も細かい花柄だったし、おまけにバスルームに敷かれたスポンジ状のマットもショッキングピンクでほんとにまじで死のうかと思っていた。翌朝、近くにうまい焼肉屋があって、一人で起きて行ったらおばさんが笑顔で迎えてくれて、白いご飯は「パッ」っていうらしいこととかを教えてくれたのでそれはよかった。

おじいちゃんは一昨年、コロナが話題になるかならないかぐらいの時期に死んだ。最後の方は完璧に認知症で、母親と決裂して吉祥寺で一人暮らししてた俺を心配してんだかなんだかほぼ毎日のように鬼電してきてたけど、母親との因縁におじいちゃんは無関係とは言えなくてその老人だからまぁ許されますみたいな、そういうノリがなんかうざったかったので鬼のように無視していた。死んだときはしばらく後悔したけど、絶対に後悔なんかしてやるかという気持ちもあった。いよいよだめそうだと知らされて真夜中の病室に行ったとき、窓の外の駐車場がけぶっていて、海みたいだと思った。発券機の緑色のランプと、人工呼吸器の音。それらをみょうによく覚えている。