takuyo日記

小説に毒されています

ユーモアと書くこと

無事に卒業と院進が決まったので、卒論について振り返っておこうかなと思う。本文は拙すぎて(まあぶっちゃけ院試の面接で指摘されたデカいミスがあるからだが)ここでは公開できないが、何を書き、書こうとし、それをどう今後に繋げていきたいか、総括みたいなことをここでしてみたいと思う。

論文のタイトルは、「ユーモア、あるいは<書くこと>の問題 ージル・ドゥルーズザッヘル=マゾッホ紹介』を中心にー」。読んで分かる通り、ドゥルーズが1967年に刊行した『ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの』という著作を主な題材として、<ユーモア>、そして<書くこと>の問題に取り組んでいる。僕の論文について書く前に、この本について紹介しておきたい。

同書はドゥルーズがレオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホ(1836-1895)という19世紀の作家を「紹介[présentation]」する意図で書かれたものである。知っている人は知っていると思うが、マゾッホは性倒錯の類型である「マゾヒズム」(つまり現在SとかMとかで通俗化された「マゾ」)の由来となった人物だ。ただし名付け親は本人ではなく同時代の精神科医クラフト=エビング(1840-1902)であり、彼により定式化された「マゾヒズム」はのちにフロイト(1856-1939)以降の精神分析にとって重要な考察対象となる。だからマゾッホを「紹介」することは「マゾヒズム」を「紹介」することにほかならず、それゆえ同書は文学の研究書であると同時に、精神分析にかかわる一定の視座を提示するものでもある。これについては、マゾッホという作家の詳細とともにもう少し説明しておかなければならないだろう。

マゾッホという人物について興味深いのは、作品として描いた女性との主人-奴隷的な関係を、現実の交際において一部そのまま実行していたことである(まあだからこそ倒錯者の代名詞になったのだが)。一番有名な作品はおそらく『毛皮を着たヴィーナス』だろう。詳細は著作を読んでもらうしかないが、女性に対する絶対服従の契約書に署名したり、あるいは「ギリシャ人」と呼ばれる間男を募集するため新聞広告を出すといったことは実際にやっていたと言われている。文献もちょっとは読んだが、こうした私生活の有り様が作品に反映されたのか、あるいは作品から侵蝕されるようなかたちで私生活が変わっていったのかということ、つまり作品と私生活の先後関係みたいなものはよくわからなかった(たぶん研究でも明らかになっていない)。いずれにせよ重要なのは、マゾッホの内的世界、すなわち倒錯=マゾヒズムが、狭い意味での文学の研究対象たる「作品」に収まるものではないということだ。ただ作品を内在的に読むだけの文学研究では、マゾッホの<生>そのものである倒錯を捉えることはできない。では、精神分析の理論を駆使してマゾッホその人を「診断」するのがよいのか、そしてそのようにして見出された臨床実体に作品を還元すれば終わりなのかと言えば、そうではない。これは『マゾッホ紹介』における精神分析批判の肝になる点だが、当時(そして今も?)主流なマゾヒズム解釈は、マゾヒズムサディズムの<補完物>として捉えるというものであった。他者へと向かう攻撃欲動がサディズムの根底にはあり、これが自己へと反転したものがマゾヒズムである、と。つまりマゾヒズムは、「欲動」というフロイト独自の可変的な理論において、サディズムの対極として位置づけられていたのである。なぜドゥルーズがこれを批判するのかといえば、精神分析におけるこうした理論が、いわばサディズムマゾヒズムという二項対立を図式として立ち上げ、その根源に同一的な対象としての<サド=マゾヒズム>なる実体を想定しているからだ。彼に言わせればそれは、(のちに『差異と反復』(1968)においてヘーゲルをそう批判したように)単なる抽象的な論理の操作に過ぎず、マゾッホの生きた倒錯という<何か>を捉えることなどできない。そう考えるとドゥルーズの立場は、ある種のリアリズムとして評価することも可能なように思えてくる。いずれにせよ問題なのは、彼自身がどのようにマゾッホマゾヒズムを捉え、また捉えるべきだと考えているのか、という点である。

ドゥルーズの言い分は、こうだ。マゾヒズムサディズムの補完物などではなく、そもそも無関係なものである。彼は次のように述べている。「サド=マゾヒズムの一体性、サド=マゾヒズム的な実体という主題は、マゾッホにとってきわめて迷惑千万なものであった。(…)というのも、マゾッホを繙くやいなや、かれの世界がサドの世界と何ら関係ないことがすぐさま感じられるからである。」(堀訳16-17)このように『マゾッホ紹介』の書き手は、マゾッホとサドの(作品と生どちらもを含む総合的な)異質性を、精神分析的な<倒錯>としてのマゾヒズムサディズムの異質性、無関係性へと直接的に繋げていく。これによって彼の思考は、文学批評(critique)と精神分析的臨床(clinique)を同一平面上において扱うという、革新的一歩を踏み出すことになる。これは非常に興味深い一歩でありながら、同書の問題設定を限りなくややこしいものにもしている。しかし勇気を出して整理するなら、こういうことになるだろう。①まずドゥルーズの関心はあくまで(生きた存在としての)マゾッホ自身にある。②ただし彼が作家である以上、当然その作品を読解することは同書の基本路線に含まれる。③そして①と②を含んだいわば総合的な「紹介」には、精神分析理論への一定の批判力が見込まれている。当然、③が鬼門である。なぜならマゾッホにとって「迷惑千万」かはさておき、現実の患者は彼から出発して出来上がった理論によりすでに少なくない恩恵を受けているはずだからである。そして臨床家がそれら患者の中に見出している臨床実体が、果たしてドゥルーズの議論を経てどれほど揺らぐものなのかは定かではない。ドゥルーズの議論は、あくまで「マゾッホ」に迫ろうとする。そしてそれがうまくいけばいくほど、実際にワークしている精神分析への攻撃力は弱いものになっていく、という懸念はなされてしかるべきではないか。

さて、ここからがようやく卒論の話になる。実のところ僕の卒論の立脚点は、こうした同書の「わからなさ」にあった。もちろんわからないとただ言っているだけではなく、それはそれとして示しながら、同書のコンセプトについて一定の結論を出すことまでを一応試みた。それは端的に言えばドゥルーズが、文学でも精神分析でもない仕方でマゾッホを「語ろうと」しているということだ。彼にとって「マゾッホ」は、文学や精神分析といった確定的なフィールド内ではなく、むしろそれらが成立する以前の段階に存在する<何か>である。そのようなよくわからない<何か>を、新しい仕方で語ること。それがマゾッホを「紹介」するというプロジェクトの要諦であり、そこで求められる文学でも精神分析でもない新しい仕方、スタイル、これこそが「哲学」にほかならない。

まあ、正直最後の一文は今思いついたようなものだが、とにかくそんな感じである。ただし哲学によって語るといっても、ことはそう単純ではない。これは段階を踏んで説明するより、実際の記述を見てもらった方が早いだろう。ドゥルーズマゾッホについて次のように述べている。「偉大な臨床家とはもっとも偉大な医者である。一人の医者がおのれの名を病につけるとき、そこには言語学的であると同時に記号学的〔症候学的〕なきわめて重要な行為がある。なぜならこの行為こそが、固有名と諸記号の集合とを結びつけるからであり、ひとつの固有名が諸記号を共示する(*原文は傍点)という事態を生みだすからである。(…)サドとマゾッホは、この意味で、偉大な臨床家だろうか。(…)病という言葉はふさわしくない。それでもやはりサドとマゾッホが、類まれな兆候(symptômes)と記号(signes)の一覧表を私たちに差しだしていることに変わりはない。」(堀訳22-23,強調はドゥルーズ)「症候学(兆候学)[sémiologie]」とは、医学において観察によりいくつかの特徴的な「記号[signes]」ないし「兆候[symptômes]」を区別する行程であり、病理的状態を体系の中で分類する行程がこれとは別に存在する。もっともドゥルーズは、この医学的概念を比喩的に、少なくとも拡張的に捉えている。作家が小説を書く行為には、どこか医学に近いものがある、と。それは世界における様々な「記号」ないし「兆候」が、作家の「固有名」とともに(「一覧表」として)示されるからなのだ、と。ここで鍵となる「記号」ないし「兆候」、それは言ってみれば、世界を構成する様々な<要素>のことである。つまり医者のように小説を書くとは、世界の様々な要素を取り集め、自身の「固有名」とともに呈示してみせることなのだ。実際、ドゥルーズは次のように述べている。「いずれにせよ、「病者」あるいは臨床家であり、同時にこのいずれでもあるサドとマゾッホが、偉大な人間学者でもあるのは、人間、文化、自然にかんする概念をまるごと、じぶんの作品のうちに投入する流儀を知りつくしているからだ。」(堀訳23,強調引用者)このようにドゥルーズにとっての作家とは、その作品から病状を特定されるただの患者ではなく、自身がその症状=倒錯を生きながらも、むしろそれが世界 ー 人間、文化、自然といった様々な領域にかかわる諸要素で構成される ー を<診断>することでもあるような、そういった両義的な存在なのである。そして二人の作家の世界に「何ら関係がない」のは、彼らがその<診断>=「兆候学」を、それぞれ独自のやり方でおこなっているからなのだ。

こうしたドゥルーズの文学観は、それほど奇異なものでもないように思われる。世界を診断するなどと比喩的に述べたが、要するに世界に対する批評的な目線を持つ者こそが優れた作家なのだという意味に解釈すれば、十分納得できるはずである。しかし問題なのは、そのことを主張するドゥルーズの<語り方>である。二つ前の引用を素直に読めば、彼がマゾッホについて、自分で自分の倒錯に名前をつけて世の中に提示したと考えているように取れてしまう。しかしこれはシンプルに嘘だ。なぜなら既述の通り、倒錯の名として彼の名を採用したのは(そしてほぼ道徳的批判に近いことをおこなったのは)同時代の精神科医クラフト=エビングなのだから。だから少なくとも、件の記述はドゥルーズによるレトリックの類として解釈すべきだ。だが本当にそれだけでいいのだろうか。彼はマゾッホという作家の本質みたいなものを提示するうえで、うっかり筆を滑らせてしまったとでもいうのだろうか。そうではないだろう、ということで、この<レトリック>を大真面目に捉えるところから始めたのが今回の卒論であった。

すでにこの文は長くなっているのであまり理論的なことに深入りしたくないのだが、結論だけ言うと、同書でドゥルーズが「兆候学」と読んでいる仕事、つまりそれにより世界の様々な記号が自身の固有名とともに「共示」される営みは、同時期の他の文献で盛んに論じられる「構造主義」の実践そのものだと言っていい。というのもドゥルーズが考える(この点が実は重要だが)構造主義とは、トポロジカルな相互関係により結びつく諸要素が「対象=x」「空白の枡目」などと呼ばれるパラドクシカルな審級により総合され構成される、「記号界(象徴界)[le symbolique]」を任意の領域に見出していく作業だからである。1966年に発表された論文「何を構造主義として認めるか」においてドゥルーズは、この特殊な対象について、ポーの手紙やねずみ男症例における借財に重ねながら次のように述べている。「このような対象は、いつでも対応する複数のセリーに現れ、複数のセリーを駆け抜け、セリー内で動き、絶えず複数のセリーの一方から他方へと途方もなく敏捷に循環する。まるでその対象は自己自身の隠喩かつ自己自身の換喩であるかのようだ(*原文は傍点)。いずれの場合もセリーは記号的な項と微分的な関係で構成される。しかし、パラドックス的な対象には、別の本性があるように見える。実は、項の変容と微分的関係の変化がその都度それとして確定されるのは、このパラドックス的な対象との関係においてなのである。」(小泉訳82,強調はドゥルーズ)まとめるなら「対象=x」は、諸々の「項」=「記号」とそれらの「微分的関係」により構成される諸々の「セリー(系列)」を、自身との関係において一つの秩序=<構造>へとまとめあげる役割をもった、特殊な存在(=非存在)である。それは論理的に<一>として指示することの可能な対象でありながら、実体をもつものでもなければ同一的な概念でもない、ただひたすら諸記号とりまとめその秩序(ゲーム)を機能させるためだけに考えられた、一種のゼロ記号である(「ゲームには空白の枡目が必要である。それがなければ、何も進まないし何も機能しない。」小泉訳85)。そしてすでにお気づきかもしれない通り僕が卒論でとった方向性は、「マゾッホ」が「対象=x」と呼ばれるものに相当するのではないかというものだ。マゾッホという「固有名」、それは人間、自然、文化にかんする諸々の「記号(シーニュ)」をとりまとめ、「象徴界」として機能させる記号的な対象にほかならない。

真の問題はここからだ。仮にマゾッホが対象=xであり、ドゥルーズにとって小説を書くということが、その名の下に世界の様々な要素を結びつけトポロジカルな秩序として提示する営みなのだとしても、先の<レトリック>の問題は拭い去られるわけではない。結論から先に言えば、諸記号のまとまりに「マゾッホ」の名をつけて提示すること、これを想像的なレベルでおこなっているのは、ほかでもないドゥルーズ自身である。にもかかわらず彼は、あたかもマゾッホが自分でそれをおこなったかのように書いている(少なくともそう読める)。<レトリック>を“大真面目に受け取る”という僕のプランとはつまり、こうした問題からドゥルーズ哲学の原理を引き出そうとする試みであった。そしてその原理こそ、「ユーモア」である。

ユーモアとは、相手の言葉をそのまま実行することによって、当初の意図とはくい違った帰結をもたらそうとする態度であり、遵法ストなどがよく例として挙げられる(これに対しアイロニーは、相手の言葉を素直に受け取らず根源的な原理へと遡行しようとする態度であり、論争好きな手合いに見られがちである)。だからドゥルーズの言葉を“文字通りに”受け取るという僕の論文の方向性、これがすでにユーモアに準ずるものだと言ってもよいが、仮にドゥルーズを読むことがそうした態度を要請するものだとして、果たしてそれが哲学的にどんな意義をもつのかが問題である。またしても結論から言うならば、ドゥルーズエクリチュールから導き出される帰結は、書く主体=ドゥルーズ/書かれる客体=マゾッホという常識的な二項図式、その廃棄である。学術論文などがそうであるように、他者のテクストを論じるとき、その他者が考えていること、そしてそれに対する自身の解釈や評価は、できる限り峻別しなければならない。そして立場によっては、後者が前者に限りなく近いものであることが理想とされる。しかし『マゾッホ紹介』の著者は、明らかにこうした制約を意図的に崩そうとしている。それもテクストレベル、つまり<書くこと>の次元において。先に挙げた「臨床家」のレトリックのみならず、こうした態度は次のような記述にも表れている。「マゾッホには正反対の異才を期待すべきではないだろうか。もはや89年の革命にかかわるアイロニーに満ちた思考ではなく、1848年革命にかかわるユーモアに満ちた思考を期待すべきではないか。もはや契約と法に対立する制度をめぐるアイロニーに満ちた思考ではなく、相互に連関する契約と法をめぐるユーモアに満ちた思考を期待すべきではないか。いまや、これら真の法的問題を把握しなおしたければ、この法的問題を、サドとマゾッホが与えた倒錯形式のもとに置き、歴史哲学のパロディのなかで、この問題を小説的要素に仕立てあげねばなるまい。」(堀訳122-123)これは同書でユーモア/アイロニーが「法」との関係で論じられる第7章(このテーマではもっとも有名なテクストではないだろうか)に突入する直前、第6章末尾のくだりである。このあとドゥルーズは、プラトンからカント、フロイトへと至る流れを「法」の思想史として概観し、近代における「急進的な転倒のふたつの偉大な企て」としてマゾッホ、サドを位置づける。事実問題として、二人の作家は、マゾッホウィーン体制崩壊の民族革命に、そしてサドがフランス革命に、それぞれ独特のかかわりを有している。しかしながらドゥルーズの思考は、こうした事実を実証的に扱いながら両者の政治的思想を再現していくことではなく、むしろ彼自身のテクストが一回的に立ち上げる舞台=「歴史哲学のパロディ」のうえにこの問題を再配備し、両者の差異を際立たせつつ、鋭くその<急進性>を描き出すことに向いている。そこではもはや「誰がそれを考えたのか」の問題は干上がり、ひたすら諸要素の関係だけが展開する。このように「文字通り」を思考のスタイルとして確立することによって初めて、歴史や政治といった外的な事象に由来する「法」の問題は、「小説的要素に仕立てあげ」られる、つまり両作家の<倒錯>=<生>の構成要素として、内的に刻み込まれるのだ。

ではそもそもドゥルーズはなぜ、なんのためにこんなことをするのだろうか。それについてここで長々と論ずることはできないが、一言でまとめるならやはり、「新しい思考を創り出すため」というほかない。あえて現代思想っぽい言い方をしてみるならユーモアとは、書く私/書かれる対象という不毛な循環の、テクストによる一元性への脱構築である。あるいは表象的な言説における自/他という存在論的な前提を穿ち、テクストそのものを一つの存在として打ち立てる試みである。こうしたテクストの存在論的な自律性とでもいうべきものについて、僕は卒論で、「紹介」の原語にあたる言葉に引っかけて「現前[présentation]」と呼んでみることにした。マゾッホを「紹介」すること、それはその名に結びついた諸々の記号をテクストとして「現前」させることである、と(ちなみにこれは院試で唯一面白がってもらえたアイデアだ)。「現前」は、概念の諸形式や<私>による媒介を伴う「表象=再現前化[re-présentation]」とは異なり、自律性、一元性、直接性にかかわるものだ。僕はここを起点として、D+Gにおける唯物論的モデルやそうした次元での新たな主体の構成(=マイノリティ生成)に向かっていけるのではないかと考えている。だからおそらく大学院での僕の研究は、存在論としてのテクスト論、存在論に一致する限りでのテクスト論とでもいうべきものになるだろう。これについては言葉と自我、あるいは現存在といったものの交差を扱うために精神分析をちゃんとやらなければならないし、言語学も外すことができない。そういう意味では、駒場に進学することができてよかったと思う。

卒論の総括は以上。正直うまく書けなかったし、院試でも結構詰められたが、まあドゥルーズを読み始めて一年半の割には頑張った方だと思う。めんどくさくて謝辞とか書かなかったのだが、勉強会をやってくださった先輩たちと、一緒に学んだ同期にはこの場で感謝をのべたい。

今回の卒論で主題の一つだった(でもいまひとつ深掘りできなかった)マゾッホスラヴ人の血を引く作家であり、その生地は現在ウクライナと呼ばれている。84年革命という主題を倒錯の形式へと内部化しようとするドゥルーズの思考は、契約を通じて女性との狂気的で幻想的な関係を構築するという彼の作品、そして生き方を、そのまま政治的状況に対する一つの<生>の反応として捉えようとするものだ。もちろん主権維持に向けられた此度の闘争はマゾッホ的なそれ ーつまり垂直的な理想に向かって強固に主体を確立しようとするアイロニーではなく、他者との水平な関係において暫定的なある種の近さに入るユーモアの運動ー と必ずしも一致するものではない。しかしそうだとしても重要なのは、現実の状況と人間の情動がリンクし、創作活動や精神生活といった領域で、一つの<抵抗>となる主体性なり生の様式なりが構築されるという視点そのものだ。まだまだ先も見えずいやな時間が続くが、なにはともあれみんなドゥルーズ読みましょう。

 

*マゾッホウクライナについて國分さんがしゃべっている動画があったので貼っておく

https://vimeo.com/channels/1776519